『駿府城公園』へ行ってきました。前編
今年の頭から始まりましたNHK大河ドラマ
『どうする家康』
を毎週見ています。(ゝω・) テヘペロ
実は私は、歴史に疎く、特に戦国時代劇に興味が無いので
大河ドラマを見るのも、ほぼほぼ初めてに近く
「“松潤”で岡崎が盛り上がるのなら応援しよう・・・」
という、浅はかな気持ちで見始めました。(ゝω・) テヘペロ
第1話は、『桶狭間の戦い』 の中の
一つのエピソード(“家康” の初陣)を描いていまして
その前提である、“今川 義元” 公 と “家康” の関係性を
ドラマの最初に持ってきていました。
“家康” は、6歳から11年間、駿府(現在の静岡市)の
“今川” 氏に【人質】として過ごしていましたが
「牢屋に監禁される」イメージでは無く
“家康” の父親が『業務提携の証』として、養子に出してる感じで
“今川 義元” 公からは、実の子供のように教育を受け
【利害関係】では無く、親子のような関係であった・・・と
このドラマでは描かれています。
実は、このドラマのテーマは
「反戦」と
「平和」だと思っていまして・・・
“家康”の価値観の礎となっている“今川 義元” の名ゼリフ
「武をもって治めるは【覇道】
徳をもって治めるのが【王道】なり
【覇道】は【王道】に及ばぬ。」
これは、中国史を学ぶ中で出てきた表現みたいで
分かりやすく言うと
「力で制圧してもダメ。人格で治めた国に【平和】が訪れる」
・・・って感じだと思います。(O.O;)(o。o;) ドキ ドキ
その“徳川 家康” のリーダー論の根幹を植え付けた
“今川 義元”
※ 上の写真クリックで、番組の動画「今川義元の教え」が開きます。
そんな、“今川 義元” 公の住居であり
“家康” の「平和へのアプローチの価値観」を植え付けた場所。
もっと言うと、正妻である“瀬名”姫(“今川”家の親戚)と
出会い、結ばれたのも、ここ駿府。
その場所に、“家康” が建てた『駿府城』・・・
まぁ、見たくなりますわなぁ・・・。
そんな訳で、
次回は『駿府城公園』のお噺をいたします。
では、また。(^0^)/~~ バイバイ
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