2018年02月14日

悪魔のように細心に、天使のように大胆に。その5

若干39歳で、ドラゴンズに監督として戻って来たとき
“星野 仙一”氏は、強いチーム作る準備を整えていたと思われます。

1986年夏、“山内”監督の休養の時には、次期監督として白羽の矢が立っていたのでしょう。
秋の「就任発表」直後から、ドラゴンズは目まぐるしく変化していきます。



最も象徴的で、記憶に残ってるシーンですね。
『トレードで、“落合”選手を獲得』
『MLBのドジャーズと提携を結び、ユニフォームも変更』
『“郭 源治”投手をストッパーとして任命』など
準備してなければ間に合わない『目立つ改革』だけでは無く

キャンプの最初のミーティングで、選手一人一人に
「良い所と、ダメな所」を突き付け、教育方針を伝えていったそうです。
(ドラゴンズOB“彦野 利勝”氏がラジオでおっしゃってた話です)


そして、常に結果を出しました。
みなさんご存知でしょうが、一応書いておきますが・・・

【ドラゴンズの第1次政権】・・・1987年から5年間。
足りない所だらけのチームながら、2位に躍進させ
オフの的確な補強もあり、2年目にリーグ優勝

【ドラゴンズの第2次政権】・・・1996年から6年間。
1年目は「ナゴヤ球場のラストイヤー」
2年目は「ナゴヤドームのデビュー」という
チームカラーが大きく変わる時に、チームを任され
振り返ってみると、『ドーム1年目』は、全力で戦って最下位。
この事で、チームの舵を180度切り替えることに拍車がかかります。

1998年が『ナゴヤドーム対応型チーム』の実質的1年目と考えると
2年目の1999年に、リーグ優勝をかざります。


2度とも、前年5位のチームを任され、1年目に2位に躍進させ
『ドーム元年』に6位になってしまったチームを、翌年2位にしています。

ご本人も
「弱いチームを強くしていくのが醍醐味であり
 最も楽しいことだった・・・。」

と、おっしゃってた通り。『タイガース』『G.イーグルス』の2チームも
ドラゴンズと同じように、弱かったけど優勝させてしまいました。

名監督であることは、間違いありませんが
それ以上に、敏腕プロデューサーだったという声も、多く上がっています。


では、また。(^0^)/~~ バイバイ


  


Posted by ジュエル at 09:30 │野球ネタ

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