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『純情きらり』ロケ参加顛末記:まとめ読み版

2006年09月18日

プロローグ

 ※ このカテゴリは、2015年の10月から当ブログ記事として連載したモノを
   第1話から読みやすく並べ替えて、まとめたモノです。





実は私は、10年前(2005年)の10月1日
ある事の、スタートラインに立っていました。

その事をキッカケに、ブログを書く・・・という事を経験し
10年後の現在も、このブログを書き続ける・・・道に繋がっています。


その「ある事」とは・・・こちら


NHK 朝の連続テレビ小説『純情きらり』
です。

もう10年も前の事ですから、知らない方も多いと思いますので
簡単に解説しておきますね。




『マッサン』『あまちゃん』『ゲゲゲの女房』や古い所では『おしん』
などの作品を生み出した、NHKの月~土曜の帯ドラマ枠の作品です。

主役は、“宮﨑 あおい”さん


と、準主役に、“福士 誠治”くん


“西島 秀俊”さん



2006年4月3日から2006年9月30日に渡って放映されたドラマで
我が愛知県岡崎市が・・・って言うか
小学校の学区で、徒歩圏内にある【八丁味噌蔵】が舞台でした。


たぶん「視聴率UP」の為の戦略的な意味合いもあると思いますが
舞台をチョットした地方都市で設定し、地元でロケをします。

当然、地元市民にお手伝いをして頂き、エキストラも募集します。

エキストラとは言え、チラッとでも映れば大興奮しちゃいますので
その地元では、エキストラを含むお手伝いの方々で、盛り上がります。

まぁ、その一人が私なので・・・
地元から盛り上がって、視聴率も上がってくれれば・・・って感じかな?



当時『純情きらり・応援ブログ』に連載した「ロケ参加顛末記」を
引っ張り出して来て、これからしばらくは
毎週土曜日の連載ブログ枠として、埋めていこうか?と思っています。


え? 手抜きじゃないか? って?

10年前のブログ記事を、コピペで転載するだけなので・・・

その通り、『手抜き』です。<(`^´)>エッヘン



では、また。(^0^)/~~ バイバイ

  


2006年09月11日

01

2005年10月1日。
私がネット環境全般をお願いしてる、地元密着型プロバイダーの
『シンフォニア』さん
よりメールを頂きました。

内容は「純情きらり応援ブログを立ち上げました」ってことと



「岡崎ロケがあります。
 エキストラとしてテレビ出演!
 というのも楽しいかもしれませんね。」
って内容です。

言われてみて思い出しましたが、数か月前に新聞で
平成18年NHK朝の連続テレビ小説は、舞台が愛知県岡崎市。
って、書いてありました。

何らかの応援をして、番組と関わりを持ちたいと思ってた所へ
岡崎ロケエキストラ募集のお知らせです。
目立ちたがりの私には、まさに【渡りに舟】です。

早速、申し込みをして『応援ブログ』の一つ目の記事の
「すでに申し込まれた方は、いらっしゃいますか?」って問いに
「昨日(10/19)エキストラに申し込んで来ました。」
ってコメントを入れました。












・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。










・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。












・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。








あれ?これブログだよな?
普通コメント入れたら返事があるよな・・・。
個人じゃなく、プロバイダーのブログだし・・・。

と思って待ちましたが・・・リアクションはありませんでした。

そうなんです。『シンフォニア』さんは
ブログを立ち上げただけで、管理しない人だったんです。


そうこうしてるウチに市役所から「エキストラ任命」の一報を頂きました。

『応援ブログ』に報告のコメントを入れましたが
延べ2人目のコメントも私でした。

その後に現れた『他の読者さま』からの質問コメントにも私が答えたのを
キッカケに、この【ロケ体験報告】連載を始めてしまいました。


そんな「イイ加減」な感じで始まったモノです。
読んでも面白く無いから・・・・・・ね。


では、また。(^0^)/~~ バイバイ


  


2006年09月04日

02

前回の記事で書いた通り
ひょんな事から『純情きらり応援ブログ』の
“雇われ管理人”というポジションになってしまう訳ですが

初めはそんなつもりも無く、読者の1人として
『ブログのコメント欄』に、こんな書き込みをしていました。



********************** ここから **********************

2005/11/03(Thu)

先日“市役所”よりお電話を頂き
エキストラとしてお手伝いさせて頂ける事になりました。
役柄は100人くらいいる『通行人』の1人。まぁ予想通りです。

昭和12年の岡崎・・・ってシチュエーションだそうで
それに見合った服装で行くのですが
今持ってるスーツ(の中で最も地味な1着)でOKだそうです。

初めに「着物はお持ちですか?」と聞かれたので
着物を用意して行った方が目立つかな?とも考えています。

いやいや、ドラマを邪魔するレベルの目立つって意味では無いですよ。
ただ、放送をみんなで見てて
「あれ?」  「どれ?」
「この辺この辺・・・あぁ、終わっちゃったよ。誰か分かった人いる?」
って事になっちゃうのは、火を見るより明らかですから

自分への目印レベルでね・・・。(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン



応募が1000人以上あったらしく
思った以上に皆さん感心を持たれてるようですね。

前回のコメントで
「もっとお祭りが出来るくらいのビッグイベントになれば良いのに・・・」
と書きましたが、ギャラリーが集まり過ぎちゃうと撮影が出来なくなるから
時間・場所は絶対にナイショだそうです。
カミさんと子供連れて行くつもりだったんですが、それもNG。
当日出番が終わったら、デジカメで撮りまくるくらいは
OKであって欲しいのですが・・・。



********************** ここまで **********************

こうして振り返って見ると、この段階でイロイロ訊いていました。
実際は、何の準備も無く集まって、言われたことをする
それで良かったのですが
「ドラマの背景は、何年ごろなんですか?」「服装は?」
って、訊いて準備をしようとしています。

その結果・・・




10年前のブログでは出来なかった
文字に色を付けたり、読みやすいように改行など
多少の加筆や訂正をしながら
こんな感じで、楽を・・・
いやいや・・・ブンブン(>_< )( >_<)ブンブン  毎週土曜日に
『純情きらり・岡崎ロケ』を振り返っていきたいと思っています。


では、また。(^0^)/~~ バイバイ



  


2006年08月28日

03

毎週土曜日は、『純情きらり・岡崎ロケ』を、当時書いたブログ記事を
コピペしながら振り返っていくのですが
やや加筆や書き直しをしながらやって行きますので
違和感が出ちゃうかもしれませんが、ご容赦下さい。

ドラマの放送は、2006年4月からでしたから
岡崎ロケは、2005年11月14日(月曜日)から10日間くらいでした。

当時『ジュエル足立』は、水曜定休だったので
11月16日(水曜日)だけエキストラとしてお手伝いさせて頂きました。

100人のエキストラ中に埋没しない為の、目印を・・・と考えていた私は
市役所の方に、ドラマのロケの日の設定が『昭和12年』と聞いてましたから
当時のファッションを逸脱しないレベルの目印の準備の為に
近所のおじいちゃま(まぁまぁの遊びの達人っぽいお方)にリサーチしてみました。

昭和12年頃はまだまだ着物が多く
やはり昔も今も『モテル男は、ちょっとワル』っぽい感じだったそうで
時代劇でヤクザが羽織ってる感じの生地の薄い半てんを着物の上から羽織って
普段は下駄履きなのに勝負どころは草履で出かけた・・・。

なんて話を伺いました。

当初スーツで行く予定だったのですが、家には着物がありましたから
この時点で既に
「お、このオジサンは気合いが入ってるなぁ」
と言われるくらいのイキオイで参加しようと思っていました。

実は、私が結婚する時(昭和63年)に、カミさんの両親から結納返しとして
頂いたけど、1度も袖を通していなかった『まぁまぁ高級な着物』でしたから
この機会に、その着物を着て、ドラマに出る事にしました。g(`、´ )good!

当初は、ウチのカミさんが着付けをしてくれる予定だったのですが
集合時間が早まって子供を保育園に連れて行く時間とダブり
ウチの裏の“貸し衣装屋”さん
着せてもらう事に・・・。

足元は『黒足袋&雪駄』
70年前の“遊びの達人”が
「下駄は普段だな。
 ここ一番の時はピシッと足袋はいて草履(雪駄)で決めて行ったなぁ」

とおっしゃっていたのと、“貸し衣装屋”さんに
「白(足袋&雪駄の鼻緒)はよそ行き(冠婚葬祭?)だから黒で」
と言われてたので、前日夜9時過ぎに黒足袋だけ買いに行き
雪駄は“貸し衣装屋”さんの社長さんの私物を借して頂きました。

これが、ロケに向かう私の、基本的な出で立ち(ファッション)でした。


来週に、続きます。 では、また。(^0^)/~~ バイバイ


  


2006年08月21日

04

毎週土曜日は、『純情きらり・岡崎ロケ』を
当時書いたブログ記事を、コピペしながら振り返っていきます。

前回、私が参加したロケ当日:11月16日の出で立ちを書きましたが
今回は、エキストラに任命された辺りまで戻ります。




私は『お金のかかる遊び』は比較的してない方だと自負しています。
飲む・打つ・買うはモチロン
1回数万円かかるようなブルジョアジーな趣味もありません。
だからと言ってお金が貯まるタイプではなく
ムダに小さい金額がコンスタントに消えて行くタイプではあります。

「だから、こんなレアなケースだから良いじゃん!」
ってぇのは、言い訳にはならないんですが
2週間前に市役所の方が電話で
「メガネは当時のモノと違ってしまいますから
 外して頂く事になります・・・」

とおっしゃってたのを聞いた時から
「新しく買っちゃおうか?」と思い始めていました。


いや、1~2年前に¥4,000(+税)で買ったメガネのフレームが
曲がってきてたんです。充分元は取ったよな?・・・って・・・。

商売的にも
「あれ?メガネ替えた?」
「実は『朝ドラ』のエキストラで・・・」

なんて話題作りにもなるし・・・。
まぁ理由の大半は
「メガネが無いと女優さんの顔とか全然見れんし!」
って事なんですけどね。(ゝω・) テヘペロ


と言う訳で、シビコの『めがね家』さんという名のメガネ屋さんに行って
事情を話し「昭和12年の設定でOKが出るメガネある?」と訊きました。

私は“ジョン・レノン”がしてるような『丸いタイプ』を想像して行ったのですが
めがね家』さんのオススメは、こんな感じの・・・。



確かに昭和初期~戦時中のドラマ等で使われてた様な気がするし
今でも年配のお客様がかけてるデザインです。
一抹の不安を覚えながら
同タイプの違うデザインや“ジョン・レノン”タイプもかけてみたんですが
どれも中途半端にオシャレで・・・。(゚゚;)☆\(--;)オイオイ ナニイッテンダヨ

最初にススメてくれたモノは、かけた瞬間に
「10歳以上年を取る」って感じの加齢臭漂うデザインで
結局そこが気に入って買っちゃいました。

めがね家』さんも
「これで(設定に合わないから)《外して下さい》って言われたら
 暴れちゃってイイですよ」

と太鼓判を押してくれたし・・・。


ま、イイか・・・・・。 (O.O;)(o。o;) ドキドキ・・・




  


2006年08月14日

05

先日配られた『市政だより』の裏表紙にあった写真です。



ウチの店から南へ200mくらいでしょうか
『岡崎の大花火』の会場の一部・・・とも言える《殿橋》竣功の写真で
昭和2年7月15日・・・と書かれていました。

NHK朝ドラ『純情きらり』の時代背景は、《太平洋戦争》の前後で
私がエキストラとして参加した日の設定が「昭和12年」という事でした。

つまり『殿橋竣功』の10年後ですが、ファッションに変化は無いようです。
上の写真を拡大してみると・・・こんな感じです。



「着物&帽子」・・・というのが、ファッションの主流だったようです。



50人100人のエキストラがざわめく中で
「おっ、これこれ」・・・と自分を発見する為に『目印』を・・・と思い
イロイロ画策しましたが、最後の仕上げは帽子でした。
モチロン、70年前の“遊びの達人”にリサーチしての結論です。

“達人”「その頃は、みんな帽子をかぶっとったなぁ・・・

“ 私 ” 「それは“ハンティング”みたいなモノですか?

“達人”「いや、あれは若いモンだ。
    あんたくらいの年(私=当時46歳)だったら“中折れ帽”だな


“ 私 ” 「え?“中折れ帽”って・・・どんなのでした?

“達人”「フーテンの“寅”さんがかぶっとった様なヤツだ

こんな会話で、当時のファッションリサーチがなされました。

幸い私は帽子が嫌いでは無く、ウチの店の2軒南に
帽子の専門店『川口ぼうし』さんがあるので
この機会に“中折れ帽”を購入する事にしました。

とは言っても、普段帽子をかぶるファッションをしている訳では無く
ご近所さんでもお客として店に入るのは初めてでした。

奥さんに事情をお話して、数点見せて頂きながら 正札 を見ました。
チラッと見え隠れする正札には¥1575の文字が・・・。

意外と安かったので
「着物の色を確認してから買いに来ます」
と確約してお店を後にしました。
後日、着物の帯がグレーだったのでグレーの“中折れ帽”を購入に行きました。
財布には¥5,000札が1枚入っていました。

その場で『粋な“帽子”のかぶり方』をレクチャーしてもらい、いざお支払い。
奥からご主人様がお出ましになって特別価格を出して下さいました。
「じゃあ1万4千5百円でイイよ」

5秒後に気を取り戻した私は、正直に
「桁を間違えてたので、お金を取りに行って来ます」
と言って出直しました。2軒隣ですから・・・。

思った以上の散財になりましたが、イイんです。
今回の事は、それだけ大きなイベントなんですから・・・。


  


2006年08月07日

06

2005年の秋に行われた『純情きらり』の岡崎ロケは
11月14日(月曜日)から21日(月曜日)まででしたが
私のエキストラ参加日は、3日目・・・16日(水曜日)でした。

現在“ジュエル足立”は月曜定休なのですが、当時の康生商店街は
『松坂屋・岡崎店』の集客力に巻かれて?
ウチだけでは無く、軒並み水曜定休になってました。

そんな訳で、「水曜日のロケ」を希望して、申し込みをしていました。


当日朝、パジャマのまま裏の“貸し衣装屋”さん(『東京軒』さん)に行って
着物を着せてもらい、一旦家へ戻って「中折れ帽」をかぶり、いざ出陣!

まずは「中折れ帽」をチョット深めで斜めにかぶり
メガネはこの日おろし立ての新品。



17年の時を経て初めて袖を通された“大島”の着物に身を包み
昨夜買ってきたばかりの「黒足袋」をはいて
ビニール製とはいえキッチリ“黒の鼻緒の「雪駄」で仕上げて
頭のテッペンからつま先まで『昭和12年のイナセなオヤジ』になりました。

新品の高価な着物、丸型では無いメガネ、“遊びの達人”直伝のファッション。
私の中で自分は“通行人Z”ではなく
最近、親父が死んで
店の財産が自由に使えるようになった
『遊び人』の呉服屋の?代目”

という役どころに、自分で勝手になりきっていました。

集合場所は『“岡崎ニューグランドホテル』



そこは殆ど町内なので、これ見よがしにそこまで歩いて行きました。


AM9:45集合。
そこに行って初めて知ったのですが
その日のエキストラは男-3人・女性-1人の計4人だけでした。

自分を見つけるための目印なんて不要の人数だったのですが
そんな事、今さらど~でもイイ事です。
すでに準備しちゃって入り込んじゃってるし・・・。

ちなみに、集合場所はホテルの2階廊下。
そこに3人の男性エキストラと
おそらくプロの子役ちゃんたち(小学校低学年くらいかな?)が3人と
プラスその子たちの親御さん達。
私がホテルに着いた頃には、子役ちゃんたちは着替えが済んでいました。

少しの待ち時間の後、もの凄く簡単な本日のスケジュールを聞いて
再び何も無い待ち時間が過ぎて『着替え』の時間に。

少し奥の衣裳部屋で着替えました。
・・・とは言え、平服で来ていた2人は着替えましたが、着物の私は
「完璧です。そのままでケッコウ(OK)です」
と言ってもらえてチョッピリ鼻高々でした。


この日から主役の“宮﨑 あおい”さんが岡崎に入り
午前中は“奥殿陣屋”でロケがあったらしく、その撮影がケッコウ延びたそうで
こちらの出番もなかなか来ないまま“ロケ弁”のお出ましです。



  


2006年07月31日

07

2005年11月16日(水曜日)
『純情きらり』岡崎ロケ・第3日目の集合場所は
「岡崎ニューグランドホテル 2階 「ゆりの間」
と案内にあったのですが

実際に私たちが待機していたのは
2階の廊下の長椅子らしきモノに赤い布がかぶせられた所で
結果的に言うと、朝10時頃に集合して午後3時頃まで
基本的には、みんなでそこに腰掛けて待機していました。

その日のエキストラは男-3人・女性-1人の計4人でしたから
厳密にいうと、この日唯一の女性の方は受付の近くに座ってみえたので
その時点では、ほとんど接点が無く、お話はしませんでした。
多少お話したのは、お昼ご飯の時に合流してからですが
さすがに女性のプライベートな話はしませんでした。


長椅子近辺には、常に男3人のエキストラでいましたので
長い待ち時間の暇つぶしに
「私の気合いの入れっぷり自慢」
「各々のお仕事の話」などのムダ話をしていました。
(大半は私が喋ってたと思いますが・・・(ゝω・) テヘペロ)

1人は20代半ばの男性。目のクリッとした二枚目の好青年です。
異例の『初日に続いて2度目のエキストラ出演』です。
しかも同一人物役でまだ後日出番があるとの事でした。
役柄は“大工”さんですが、常に自転車に乗って登場します。
スタッフの方に、“自転車男”さん と呼ばれていました。

何やら初日(14日・月曜)に「5日間出られる人に、この役を・・・」
との依頼に「私は出られます」と即答し、抜てきされたそうです。

どうやら会社には事後承諾だった模様でしたが
その結果、数日間ロケに参加して、この日以外にも
4回は、出演されてました。




もう1人は30代前半の男性。
岡崎の税収を支えている【財閥系企業】にお勤めのサラリーマンさんです。
丁度、「岡崎工場が撤退する」噂があり、その話を詳しくうかがいました。

男性2人は応募の段階で
「全日程どこでも出演可能」「受信料ちゃんと払ってます」
と書いてたりして、けっこうヤル気満々だった様です。

『当日気合いナンバー1男』だった私は、逆に応募の時は
1.「いつ何処でロケがあるのか、一般市民には伝わって来ない」
2.「1日だけある水曜日(定休日)には
  1番下の子(保育園・年少)とカミさんを連れて見物に行きたい」
3.「応募しておけば、お呼びがかからなくても
  スケジュールくらいは教えてくれるだろう」


って感じで応募してましたから
まわりの熱意を聞いて事の重大さを少しだけ認識しました。

実際に言われたルールは、私の思いとは裏腹に
「ジャマになるから」との理由から
ロケの場所は極秘。家族同伴不可。写真撮影不可。
って条件を事前に言い渡されていました。

ですから、このブログも、肝心な当日の写真がありません。
その反省から、今では写真をムダにたくさん撮りまくるようになりました。



ふと気が付くと受付けの所にお弁当が積んでありました。
いわゆる“ロケ弁”ってヤツです。
初めての“ロケ弁”体験の興奮よりも
「今、自分たちが座っている所から見える
『和・洋 2つのリッパなお部屋』の、どちらで食べるのだろう?」

って事の方が興味をそそっていました。

そして市役所の方が“ロケ弁”を持ってこちらに来て
1人1人に配って言いました。
「じゃあ、どうぞ(その場で)お弁当を食べて下さい」

「え?ここで?」( ̄□ ̄;)!!と思いましたが
何ぶん初めての体験ですから
「いつもこんなモンなんだろぅ」くらいに思って早速食べ始めたら・・・
即座にホテルの方が飛んで来て
「ここでのお食事はチョット・・・」
やっぱりホテルの廊下(しかもキチンとした和・洋のレストランの前)で
お弁当広げて食べちゃうのは・・・ねぇ。ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ

と言う訳で、その奥の『衣裳部屋(和室)』で食べさせて頂く事になりました。

エキストラ4人が、部屋に入ってすぐのあたりにバラバラに座り
(あぐらをかいてました)“ロケ弁”をほお張っていると突然
真っ赤なドレスに身をまとった大女優さんが部屋に入って来ました。



  


2006年07月24日

08

2005年11月16日(水曜日)
『純情きらり』岡崎ロケ・第3日目、ニューグランドホテルに集合し
1~2時間何もしないまま、昼食を『衣裳部屋』でいただく事になりました。

『衣裳部屋』として使っていたのはけっこう広い和室でした。
入ってすぐの左側の棚に帽子や履物などの小物がイッパイ詰め込んであり
反対の右手には、業務用の衣装かけ・・・え~っとなんて言うんだろ?
「移動できる鉄棒」というか、5人はぶら下がれる「ぶら下がり健康器」
のようなモノにハンガーにかけた衣装がビッシリぶら下がっていました。
その『衣装の束』で、部屋を半分に分けて(仕切って)いる状態でした。

そして正面の壁は、たたんでしまえる衣装が入った箱が
天井に着きそうなイキオイで詰まれ、並べられていました。

1度着替えに入ってる部屋でしたし
集合してから2時間も経っていれば緊張感も無くなっています。
部屋に入ってすぐの辺りから適度に間隔を空けて男3人が座り
少し離れた奥に女性エキストラさんが1人座っていました。

開けっ放しの出入り口から3人目の位置で、出入り口に向かって
あぐらをかいて座り、『ロケ弁』を喰らっている時・・・。
出入り口に真っ赤なドレスを身にまとった女性が突然現れたのを
焦点の合っていない私の目がボンヤリ捕らえました。
(焦点は『ロケ弁』付近に合っていましたから・・・)

緊張感無く、チラッとそっちを見ると
そこに現れたのは、大女優 “室井 滋” さんでした。



真っ赤なドレスというのは、役柄が『岡崎で最初のモガ(モダン・ガール)』
という設定だからだと思われます。

想像ですが、小走りに駆け込んで来て部屋の前で止まり
「お、ここだ」と確認して部屋の中へ入って来る。
そんな感じの現れ方でした。

「こ、こ、腰が抜けたかと思った」と心の中でつぶやきました。

モチロンあぐらをかいていて腰が抜ける訳ありません。
ただ完全にリラックスっていうか気の抜けた状態でご飯食べてましたから
“室井”さんの出現に驚いた状態は、まさにその表現がピッタリだと思います。


その後、名古屋を代表する名古屋弁女優“山田 昌”さんや
名古屋を中心に舞台をやってる役者さんらが部屋に入って来ましたが
心の準備が出来ていましたからさほど驚きませんでした。

どちらかと言うと驚いたのは、皆さん同じ部屋で着替えて
(と言っても、衣装で部屋を半分に仕切っていましたし
 さらにその奥に個室があったのかも知れませんが・・・)

サッサと帰ってしまった事でした。

さすがの私も
「奥の方にいて、何かの拍子に見えてしまったら大変」とばかりに
一番(見えちゃう)事故の可能性の少ない出入り口付近へと移動しました。

と言うのも“室井 滋”さんクラスの大女優ともなると、忙しい事もあって
『多少のリクエスト(ワガママと言われるかも)が言える立場』
である事は間違いありません。

イロイロな・・・特に個性的な役どころをこなして来ていますから
イメージとしてチョット怖い人かな?って思わないでもありません。私は

「あの人たち誰?エキストラ?何でここで食事してんのよ?
 男の人がいたら着替え出来ないでしょ?
 少しは考えなさいよ。も~段取り悪いわね!
 とにかく男の人だけでも出てってもらって!」


と言われても仕方の無い状況だと思っていましたから
何も言わずにアッと言う間に着替えて、風の様に去っていった“室井”さんに
「あぁ、バラエティのまんまだ・・・」と安心させてもらいました。


このドラマの『見どころ』のひとつに
“室井 滋”さんと“戸田 恵子”さんのバトルがあります。



役どころとしてこの2人は『同級生だが犬猿の中』という設定。
素晴らしいキャスティングではありませんか?
個性は違うが高い存在感を持つお二人が
尋常小学校時代に同じクラスにいたら当然2つの派閥が出来るでしょう。

そのまま大人になって『犬猿の中のまま深くつながって行く』ドラマ設定は
間違い無く『大きな見どころ』の1つだと思っていましたから
その内の1人“室井 滋”さんに遭遇できて
「お疲れ様でした」と声をかける事が出来たのは
この日最初の収穫だったと思います。

いつものニコッとはにかんだ笑顔?を見せて下さいましたし
「頑張ってね」の様なお言葉も頂いた気がします
・・・が、気を抜いてたところにイキナリ現れてアッと言う間に去ってってしまいましたから
正確な記憶が・・・スミマセン。m(_ _)m ヒラニーヒラニー


では、また。(^0^)/~~ バイバイ



  


2006年07月17日

09

 『好事魔多し』 
良いことには邪魔が入りやすいものだから、良いことがあったからといって
有頂天になってはいけないという戒めの意味。
本来は「美味い話には裏がある」って感じの意味合いでしょうが
「良い事ばかりは続かない」って時にも使われます。


人生の落とし穴は、だいたいノリノリの時に限って突然現れます。

朝からハイテンションで
まさに『頭のテッペンからつま先まで』 ビシッと決めて
いそいそと歩いて集合場所のホテルまで出向き
一抹の不安はあったモノの“衣装係りの人”に
「完璧です」とお墨付きまで頂いたので
そっち方面の警戒感はゼロだったのですが・・・

突然現れた1人の男性に
「その眼鏡ダメですから(撮影の時は)外して下さい」
と、冷たく言われてしまいました。



「が~~~~~~~ん」・・・・・・・・。
あまりのショックに全身から精気が抜け落ちて行くのを感じながら
それでも抵抗して
「えぇ!?ちゃんと『めがね屋』さんでOKもらった んですよ」
と言ってみたのですが
「ダメです。その形はまだ出てません」と冷たいひと言で終りでした。

それどころか間髪入れずに「その雪駄もダメです。替えて下さい」と言われ
もう何が何だか分からない状態で『軽いプチパニック状態』と言うか
ホント10分くらい黙り込んじゃいました・・・。
あれだけ1人でしゃべりまくってたのに・・・。

誤解を受ける恐れがありますので、先に書いておきますが
基本的なルールとして
『このドラマの撮影で使う小道具は全てにおいて
「80点90点では使えません。100点のモノをご用意しています
というこだわりのスタンス』

が存在し徹底されている・・・だけの事です。

いつもの通り、私が勝手な事をして迷惑をかけている・・・って状況なんです。
それが理解できたのは、その“雪駄”を替えた時でした。

その男性が奥から持って来た物は“下駄”でした。
リサーチで“70年前の遊びの達人”より
「下駄は普段履き、ここ一番は雪駄」と教えて頂いていますし
自分の中で、『遊び人』の“呉服屋の?代目”が仕事サボって
おネェちゃんのいるお店』に遊びに行く
ところを想定してましたので、雪駄は譲れません。

「あぁ・・・、下駄・・・ですか?」と力なく聞いたら
「雪駄がよろしかったですか?」とアッサリ。

衣裳部屋に入り、雪駄を手渡しして頂く時に
「ビニール(製)か本物かって違いだけなんですけどね」
と言われて、何となく理由が分かりました。

確かに“貸し衣装屋”の社長さんの私物である雪駄を借りる時に
「ビニール製だけど、どうせそんなトコまで写らないでしょ」
って会話がなされていましたから・・・。
「分からなかったら・・・バレ無ければ、OK!」
っていう発想は現場のスタッフには微塵も無かった・・・って事です。

まぁNGも仕方ない・・・って言うよりも
『若きTV屋の職人気質』に、頭が下がる思いになりました。



と言いたいところですが、その時点では
「理屈では納得できるけど、それ位イイじゃん!」
って気持ちの方がまだ強く、相当ヘコんでました。


私がヘコんでるスキをついて本日の目玉 “井川 遥”さんが
5m先を横切ったらしいのですが、全く気が付きませんでした。



  


2006年07月10日

10

この日(11月16日)の撮影から主演の“宮崎 あおい”さんが岡崎入りし
朝から『奥殿陣屋』で撮影をしていたそうです。
(前日までは、“桜子”の幼少期の撮影だったそうです)

その撮影がケッコウ延びていて、時間がずれ込んで行き
何もしないまま、どんどん時間が過ぎて行きましたが
なにぶん初めての事で
「ドラマの撮影って、こんなモンなんだ・・・」
くらいに思って、ず~っとしゃべっていましたから
待ち時間は苦にはなりませんでした。

メガネがNGになってヘコんでたのもある程度回復した頃
何処からとも無く“紅一点の女性エキストラ”さんが現れました。

どうやらメイク室(として使ってた狭い和室)で、髪型チェックを
してもらった後、戻って来たようです。

彼女は、やや興奮気味に開口一番
「“井川 遥”さんと部屋で一緒になっちゃって・・・
 可愛かったぁ・・・」

などと口走ったものですから
そこにいた3人の男子エキストラチームは、大騒ぎです。



「えぇ?じゃあさっきそこを通って行ったのが
“井川 遥”?」
とか言いながら大盛り上がりです。
メイク室の方へと行きかけてたしなめられた男子も約1名いました。

ただその後1人づつ順番に、メイク室で髪型チェックをしてもらいましたから
その時には堂々と部屋に入っていけたのですがね・・・。

実を言うと、私自身はそれほど盛り上がってはいませんでした。
いや“井川 遥”さんが好みで無い・・・ってな訳はありません。
モチロン2人同時に「付き合って下さい」と言われれば
“室井 滋”さんよりは“井川 遥”さんと付き合うんですが・・・。
(あらへんあらへん)

私があまりドラマを見ないためか?
何か「中途半端に知らない」って感じで、イマイチ盛り上がりに欠けてて
まだ主演の“宮崎 あおい”さんの方が
「全く知らない」分だけ見てみたい気持ちが盛り上がっていました。

でもそこは、私もまだ何とか男性の端くれにいますんで
美人を目の当たりにしたら当然湧き上がって来る』モノがあると思いつつ
メイク室で髪型チェックをしてもらう順番が来ました・・・。

部屋に入ると、隅っこの方にある小さいテーブルの所で
着物で正座をして、お食事されてたようで
背中しか見られませんでした。

女性3人で歓談しながらのお食事って感じで
意識してこちらを向かなかったような気がします。
美人って分かってるから私が勝手にそう思っただけなんでしょうが
人気美人女優っていう『崇高なオーラ』が漂っていて
私ごときが、気軽に声をかけてはイケナイ ムードが満載でしたねぇ。

「帽子をかぶりますから、関係ないですかね?」
などとヘアメイクの女性と話しながら、それでも一応髪型を整えて頂いて
所定の待機場所に戻ると、だんだん慌ただしい雰囲気になって来ました。
どうやら『奥殿陣屋』での撮影が終わったようです。


いよいよ出番が近付いて来ました。

さぁ!誰と共演できるのかな・・・。




  


2006年07月03日

11

朝10時に集合して、4~5時間の待ち時間が経過した頃
岡崎市役所の方がこちらへ歩み寄り、申し訳無さそうに言いました。

「予定では撮影現場まで車で行く事になっていたのですが
 スケジュールが押してまして・・・
 皆さん歩いて行って頂きたいのですが・・・」


撮影場所を訊いたら
『竹千代橋』のたもと『伊賀川』沿いの小道・・・
との事でした。

集合場所の『岡崎ニューグランドホテル』からは歩いて3分程度です・・・。
気を遣って下さるのも程ほどで良いのに・・・。ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ



 ※ サムネイルになっています。クリックで大きくなります。
  「現在位置」がロケ現場で、「図」の文字辺りが集合したホテルです。







ご存じ無い方に、『岡崎公園』をザックリと説明をしておきます。

戦国時代のチョ~有名&人気の武将“徳川 家康”公を輩出した
『岡崎城』を取り囲む形で、岡崎市民の憩いの場『岡崎公園』があります。

小さいとは言えお城ですから立地が良く
南に200mほど下りた所には一級河川の『乙川(OTOGAWA)』が流れており
北に200mほど下りた所には『国道1号線(旧・東海道)』が
『岡崎城』を『乙川』と挟み込む感じで存在しています。

さらに昔から
「♪五万石でも岡崎さまは、お城下まで舟が着く♪」
と唄われている様に、西に50mほど下りた所には
『乙川』に北から垂直に合流する『伊賀川』が流れており
お城への物流が舟で出来る《立地の良さ》がチョットした自慢のようです。

元々緑の多い公園なのですが、この季節でも楓などが意外と紅葉していて
「緑に囲まれた『岡崎城』を背景に赤や黄色の葉を散りばめた景観』が
意外とキレイな公園です。

生まれ育った町のあまりにも身近すぎる公園。
基本的には大変わりしていないのですが、ウワサだけは聞いていたけど
見るのは初めて・・・なんてモノがたくさん出来ています。

『岡崎城』を中心として『家康館』『能楽堂』『茶室』『大手門』などの
見るに値する建物 が点在しているだけではなく
“家康”人形が能を舞う『カラクリ時計』や『銅像』なども点在しています。

その中でも、一番の見どころは・・・コチラ


グレート“家康”公「葵」武将隊
 です。


チョットした観光地として機能できるポテンシャルは充分備えているのですが
何と言ってもここは、毎年8月の第一土曜日(だったと思います)に行われる
『大花火大会』のメイン会場?
(会場っていうか『乙川』の、まさにこの場所で打ち上げたり、名物『仕掛け花火』もやります)

であると同時に、4月の前半(3月の末くらいからかな?)には
『桜祭り』の(こちらは間違い無く)メイン会場となります。
この時は公園内が桜と露店でえらい賑わいになります。

桜が終わると『竹千代橋』のたもとに『藤棚』があって藤がキレイなんですが
それらと比較するとこちらは「並みのキレイさ」といったところでしょうか?

この『大花火大会』と『桜祭り』は別格というか
我々岡崎市民がある意味“徳川 家康”よりも自慢に出来るモノである
と言っても過言では無い気がします。

『純情きらり』の放送に合わせて、『八丁みそ工場』見学ツアーが
いまだに盛況なようですし、これに合わせて
『岡崎公園』(花見&花火)をセットにすれば、充分商売になる・・・
と思うんですけど・・・。ねぇ。


今回は『観光案内』になっちゃいましたスミマセン。 m(_ _)m ヒラニーヒラニー


では、また。(^0^)/~~ バイバイ



  


2006年06月26日

12

やっと、撮影現場へ行く事になりました。
集合場所の『岡崎ニューグランドホテル』から
撮影現場までは、乙川沿いの一本道を歩いて3分程度です・・・。

  
 ※ サムネイルになっています。クリックで大きくなります。
  「現在位置」がロケ現場で、「図」の文字辺りが集合したホテルです。


その日のエキストラ4人と、市役所の方などと一緒に
だらだら歩いて撮影現場近くの『藤棚』まで行くと・・・



既に、NHKの車やスタッフの方などが、徐々に集まり初めていました。

いよいよ現場に入った訳ですが、その時点では緊張感は全く無く
ワクワク感100%な「お気楽な感じ」

「え?何処で撮るの?」(芸能人は)誰が来るのかな?」などと
エキストラどうしで余計な心配をしていました。

どなたかの指示があったので、『藤棚』のベンチ辺りで待つ事になりました。
ホテルでチラッと顔を合わせた“子役”ちゃんたちも合流してて
保護者の方々と一緒に「べちゃべちゃ」しゃべりながら
やはり緊張感も無い感じで、そこらで撮影開始を待っていました。

名古屋の子たちと聞いていましたから
「4月になって番組が始まったら、もう1度ここに満開の桜を見に来てよ」
って、岡崎公園の桜の素晴らしさを語りたかったのですが
話すタイミングをつかめなかった事が心残りでした。(ゝω・) テヘペロ

もう1つ心残りだったのが、楽譜のような物を持ったご老人に
「懐かしい格好だなぁ」と声をかけて頂いたのですが
面白いリアクションがとれず、話しが全く盛り上がらなかった事ですね。

実は、このご老人が(私にとって)この日一番の収穫になるのですが
この時点では、そんな事は全く思いもよりませんでした。

それどころか、現場に行けば
「きっと“監督”さんは“監督”さん。ADの人はそれなりで
 見ればだいたいのポジションは分かる」

くらいに思っていましたが、人は見かけで判断できませんでした。

先ほどの“ご老人”も『楽譜の様なモノ』を持ってなければ
制作関係の人かな?と思いましたし
逆に役者さんと見紛うばかりの、カッコイイ製作スタッフの人もいました。


徐々にスタッフの方々の人数が増えて、雰囲気が慌ただしくなってくると

「いよいよ始まる」といった具合になって
徐々に、緊張感が高まって来ますが、まだ現場ではありません。


「じゃあ行きますか?」

誰の声か分かりませんが、その合図とともに撮影現場へ移動となりました。
撮影場所は『藤棚』に隣接する『竹千代橋』の東側(公園側)から
北(お城側)の堤防を下りた、『伊賀川』沿いの河川敷の小道”でした。

今までいた『藤棚』から数十歩くらいの所です。
『竹千代橋』は、たまには通りますし、その小道も初めてではありません。
下りてみると何処がどう変わったって感じは、ありませんでしたが
そこは既に撮影現場になっていました。



  


2006年06月19日

13

撮影場所は『藤棚』に隣接する『竹千代橋』の東側(公園側)から
北(お城側)の堤防を下りた、『伊賀川』沿いの河川敷の小道”でした。



今までいた『藤棚』から数十歩くらいの所です。
『竹千代橋』は普通に車で通りますし、その小道も初めてではありません。
下りてみると何処がどう変わったって感じは、ありませんでしたが
そこは既に『撮影現場』になっていました。


セッティングなどに慌ただしく動き回るスタッフの方たち。
おっ、対岸にTVカメラを発見。

よく見ると幅2メートルほどの小道は、いつもなら舗装されているのですが
ちゃんと砂を撒いてコンクリートを隠してあります。

私たちのようなエキストラサポーター組と
作業サポーター組(イベント・撮影現場のお手伝い)の公募をしていましたから
そちらの方たちのご尽力でしょう。

じゃあ、その辺で働いてる人も岡崎の人なのかな?


まだ芸能人の人は現れませんが、スタッフの方から
シチュエーションとか立ち位置の説明などをされると
徐々に気が引き締まって来ます。

と言っても、やる事は簡単な事ですが・・・。

スタッフの方から頂いた指示は・・・
「この道を“宮崎 あおい”さんが早足で通り
 後ろから“三浦 友和”さんが追いかけるシーンの
 すれ違う役(通行人B)です」

って事でした。


この辺りから色々な人が、入れ替わり立ち代わり指示を変えて来ます。
「ここから橋の方に向かって歩いて行って下さい」

と言われた『ここ』は、数回移動しました。
どうやら、現場でカメラを覗いた【実際の映像】を見て
イロイロな物事が決まって行くって感じです。

その横では、現場設営スタッフの方々がスコップ片手に
土手と小道の境目あたりに細い木を等間隔に植えていました。

そんなザワついた、「いつ始まるのか?」「まだまだ始まらないのか?」
が、さっぱり分からない状況で私は
「これだけは訊いておかないと・・・」
と不安に思っている事が1つありました。

とりあえずそれなりに
《内容を理解している雰囲気で、指示をしている人》
を捕まえて訊きました。

「今日のシーンは、何月の何時頃なんですか?」





  


2006年06月12日

14

集合場所の『ニューグランドホテル』から、徒歩2~3分の距離にある
『竹千代橋』下あたりの河川敷で、この日のロケが始まろうとしていました。




前にも書いた通り、私には
他のエキストラさんの誰よりも気合いを入れて(空回りでしたが・・・)
撮影に臨んだ・・・という自負がありました。

一人だけ、昭和12年当時の出で立ちで、参加してましたし
(本当は、現場で用意されたモノを着た方が良かったのですが・・・)
メガネと帽子は、自前で購入して準備していましたし
(メガネは「ダメっ!」って言われちゃいましたが・・・)
年齢的にも一番年上でしたから、ホテルの待ち時間の時点でも
ケッコウ偉そうにしゃべり倒していたのです・・・。

その中で『自転車男』と呼ばれていた
毎日「自転車で通過する“大工”さん」って役の人がいまして
その人をダシに、こんな話も・・・偉そうにしていました。

「自転車に乗って走り抜けるのは、ある意味少し楽らしいですね。
 以前映画監督の“ビ~トたけし”さんが

「タバコとポケットをNGにしちゃうと
 手の演技に困っちゃう役者さん、意外と多いんだよ・・・」

 って言ってたんですよ、でも自転車は両手ハンドルだから・・・。

 自分としては寒い日の設定って言われたら
 「う~寒い寒い」って手をこすったり、袖の中に入れれるとか
 イロイロ考えるじゃあないですか・・・」

なんて偉そうに『演技論』めいた事までヌカシテおりました・・・ハハハ。
(゚゚;)☆\(--;)オイオイ ナニイッテンダヨ

まぁ実際、私はアドリブが利かない方なので
あらかじめ、やる事を想定しておかないと、悔いを残すタイプなんです・・・。

そんな事もあって、慌ただしい現場の中で
ある程度『設定』の分かっていそうなスタッフさんを捕まえて
季節と時間を確認しました。

「今日のシーンは、何月の何時頃なんですか?」

「季節は春先。春休みくらいって感じかな?時刻は夕方。4~5時ごろ」
って言ってた様な気がします。
私としては『多少寒いくらい』の設定が助かるのですが、訊いてみると
「体感的にだいぶ暖かくなってる頃で
 夕方といってもそれ程寒くは無いと思いますよ」


ってな感じで言ってました。ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ


前にも書きましたが、私は
『親父が死んで、店の財産が自由に使えるようになった呉服屋の?代目』
って役柄設定(を、自分勝手に自分に与えただけ)だったのですが
さらに季節などの設定を聞き・・・

『春物のお仕立ても一段落ついて、お店も少し落ち着いた。
 今日はチョットいつもの
(風俗系の)お店へ遊びに行こうと
 “番頭”さんに仕事を全部押し付けて
  日のある時間からお店を抜け出しちゃった


「お目当ての “お志乃” ちゃんは、一番人気だから
 この時間に行っても、先客がいるかもしれない・・・。」

  って事なんかを心配してる割には
  髪はキチッとセットして、勝負着物に身を包み
  帯の色にコーディネートした
  グレーの中折れ帽子をかぶって
  真っさらの足袋を履いて
(雪駄はいつも履いてるモノだけど・・・)
  精一杯おめかししてイザ出陣』

・・・という設定で、臨む事にしました。

歩いて、"あおい"ちゃんや"友和"さんとすれ違うという『役』なので
2人とは「違うリズムで歩きたい・・・」という思いもあったので
歩く雰囲気としては、デート?に向かってる訳ですから
「帽子がカッコ良くかぶれているか?」などを気にしながら
時間も気になるし、ソワソワしながら少し早足で・・・。

って感じの演技?にしようと、想定して臨みました。



        ・・・ね。「あほ」でしょ? (ゝω・) テヘペロ



おまけに、“この日、紅一点だった女性エキストラ”さんとすれ違う設定
だった(後で変わりましたが)ので、その人の所まで走って行き

「この頃の男性が女性に道を譲るとは思えません。
  私はよけませんからよけて頂けますか?」


なんて事まで言ってました。

まぁ、図々しい・・・というか、何というか・・・。
ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ


そんな風にノリノリで撮影準備にはまり込んでいる時に突然
先ほど、私にNGを出しまくった“若きTV屋職人のスタッフ”さん
すっ飛んで来て言いました。
「その帽子も、ご自前ですか?」

私は、チョット自慢げに言い放ちます。
「モチロン!」


「じゃあ、その帽子もダメです」





  


2006年06月05日

15

ロケ現場に入り、慌ただしく準備をしている現場で
指示された「立ち位置」で、撮影をまっていると
集合場所のホテルで、私にNGを出しまくった
“若きTV屋職人のスタッフ”さんが、すっ飛んで来て言いました。
「その帽子も、ご自前ですか?」

私はチョット自慢げに・・・「モチロン!」

「じゃあ、その帽子もダメです」

( ̄□ ̄;)!!

今度は帽子にNGを出されてしまいました・・・しかも現場で。






ケッコウ(このカテゴリー内で)さかのぼりますが、私は
この日の為に『中折れ帽子メガネを新調』しちゃいましたから
メガネだけならともかく帽子までNGとなると(購入資金を貸してくれた)
ウチのカミさんに何を言われるか分かりません
(って言うか、逆にだいたい想像がつくし・・・)

困惑しながらも「じゃあ代わりの帽子を・・・」と思いましたが
ホテルの衣裳部屋まで行かなければ用意できません。
気合満タンの準備だったんですが、諦めるしかありませんでした。

結局、私は
『当時その辺にゴロゴロいた、普通の着物のオジサン』
なってしまいました・・・。   (T^T)

結局、帽子も無しになったので、メイク係の人がわざわざ来てくれて
髪型をセットし直してくれました。
何だか、かえって申し訳ない気持ちになりました・・・。

と言うのも、私から帽子を取り上げながら“TV職人”さんはキチッと
「形が少し違うんです。ここ(帽子のツバのふち)も纏ったりしてません」
と説明を入れてくれた事もあるのですが、もうひとつ。
小声で「そういう『ウソ』を教えちゃうから・・・」と呟いていたんです。
実は全く同じ事を、メガネの時にも呟いていました。


人間って不思議なモノで
同じ言葉でも相手が変わればモチロンですが、場所やタイミングが
チョット変わるだけで『感じ方』がウンと変わってしまいます。

メガネの時は正直
「そんなウソに騙されないぞ」 「お前は騙されたんだよ」
って意味に聞こえたのですが、この時は理屈で分かってたせいか
「いい加減な情報が、いつも現場の邪魔をするんだ!」
「この人(私)に帽子を用意してあげられないのが残念!」

って聞こえました。

彼は申し訳無さそうに私の帽子を取り上げ
メイク係の人を呼んでくれたのですが、そんなこんなで
バタバタしてるうちに・・・、って言うか知らぬ間に・・・

“宮崎 あおい”さんと“三浦 友和”さんが登場していました。




スタッフの人たちと、細かい打ち合わせをしている“三浦 友和”さんの
いで立ちを見てビックリ。
スーツですから似ちゃうほどでは無いのですが
中折れ帽子にふちのある丸型メガネ。

私が当初予定してたファッションではありませんか・・・。

考えてみれば初めは
『100人もいるエキストラの中で、自分を探す為のファッション』
というスタンスで準備した出で立ちでしたが
エキストラが4人と分かった時点でど~でも良いモノになっていたのです。

危うくファッションがかぶっちゃって
“三浦 友和”さんのイメージを薄くしちゃう所でした・・・。





(゚゚;)☆\(--;)オイオイ ナニイッテンダヨ

スミマセン、逆です。m(_ _)m ヒラニーヒラニー 影が薄くなるのは私です。

変に『空回りの気合い』で格好つけて
キャラがかぶらなくてホント良かったです。(^。^;)ホッ/





  


2006年05月29日

16

集合場所の『ニューグランドホテル』から、徒歩2~3分の距離にある
『竹千代橋』下あたりの河川敷で、この日のロケが始まろうとしていました。





さて、この日の主役・・・って言うか、このドラマの主演女優

   
“宮崎 あおい”さんと

ドラマ導入部の準主役・・・

   
“三浦 友和”さんの登場です。

ドラマの撮影は基本的にこんな感じなのかも知れませんが、この日は
「キチッとした台本はあるが、カメラアングルや
 役者さんの立ち位置などは、現場で細部が決められる」

って感じでした。

私の立ち位置(歩き始める地点)も数回変わりましたが
そこから3mも離れていない所で“友和”さん と “あおい”ちゃんの
絡みのシーンの打ち合わせで、セリフ合わせが始まりました。



『メイキングビデオ』ならぬ
『生メイキングシーン。しかもアリーナ席』です。
私たちは当たり前のようにジ~っと見ていました。
自分としては監督の眼差しなのですが、“あおい”ちゃんからは
ストーカーの眼差しにしか見えなかったかも知れません。
(O.O;)(o。o;) ドキドキ・・・


放送から10年経っていますから、ネタバレしてもOKなので
書いちゃいますが・・・この日のシーンは

この場面の直前、悪くもないのに謝っちゃった父親(“友和”さん)
怒り心頭の娘(“あおい”ちゃん)が、川沿いの小道を歩いて来ます。

後ろから普通に歩いて追いかける父親。
当たり前ですが、それでは追いつかないので声をかけます。
「おい、“桜子”。待ちなさい」
でも、怒ってる娘はそのまま歩を進めます。

すると父親は横に(等間隔で数本)立ち並んでいる木の枝から
葉っぱを1枚むしり取り、草笛で童謡『埴生の宿』を吹き始めます。
元々『音楽と八丁味噌』を軸にしたストーリーなので
所々に音楽や楽器が登場します。この日の楽器は草笛でした。

その草笛の音色を聞いて徐々にスピードを落とす娘。
それで追い付いた父親と
「何を怒ってるんだ」
「だってお父さん・・・」
「仕方ないだろ・・・」


って感じの会話が展開される・・・。



そんなシーンでした。
(実際のセリフなど、少し違うのですが、ザッとこんな感じです)



当初の予定では、もし“あおい”ちゃんを見る事ができたら
(映画の)“NANA”見ましたよ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・娘が。」


なんて声でもかけようかと企んでいましたが
そんな『ゆるゆる』なムードではありませんでした。

そんな訳で、ただ見てただけなんですが・・・

私の個人的な印象は

「オーラ無いな・・・」   でした。
  


2006年05月22日

17

元々この“朝の連続テレビ小説”は
『全く無名。もしくは世代によってほとんど認知されていない
 女優さんが一躍スターにのし上がる』

事の多い番組というイメージを持っています。

パッと思いだせるだけでも、『雲のじゅうたん』の“浅茅 陽子”さん。
『澪つくし』の“沢口 靖子”さん。『はね駒』の“斉藤 由貴”さん。
『ちゅらさん』の“国仲 涼子”さん。『てるてる家族』の“石原 さとみ”さん

『純情きらり』以降でも

『あまちゃん』の“能年 玲奈”さん。『マッサン』の“シャーロット”さんなど
(個人的には『あさが来た』の“ディーン・フジオカ”氏も入れたいのですが・・・)

そんな感じの「若い方に知名度の高い女優さん」が『NHK朝ドラ』で
少なくとも「世代を越えて認知される女優さん」の仲間入りをした・・・
と思っています。
(まぁ私の記憶ですから曖昧で、既にチョ~有名女優さんだったかもしれませんが・・・)



私はこの「岡崎ロケ」の日に、初めて“宮崎 あおい”さんを見て
「彼女もその内の1人なんだろう」と思いました。

大ヒット映画『NANA』の片方の主役を張った女優さんですが
ポッと出のアイドル女優さんでは無く
着実に大きな仕事をこなしステップアップして、この大役をつかんだ
って事は、前もって知っていました。

ただ、これまでの出演作品は『若い世代に向けたモノ』が多く
私のような(当時)46歳のオッサンやそれに準ずる中高年層には
このドラマを通じて認知されて行くのだろうと思っていました。

モチロン、人気若手女優さんですから
「非常に端正な顔立ち」でしたし『一際大きな瞳が特に印象的』でした。



ただ最近の若い女優さんの傾向でしょうか
『同じクラスにいても違和感の無いレベルの美人』
とでも言うのか、怖くて近寄れない感じの綺麗さでは無い
と言う意味の「オーラ無いな・・・」との発言
って理解して頂けたら・・・と思います。(ゝω・) テヘペロ

ちなみに、放送終了間際に“六所神社”の“巫女”さんにお話を伺ったら
男性主役の“福士 誠治”くんに対して、神社の方たちも
同じ様な印象を持ったと言ってました・・・。
他の役者さん(“戸田 恵子”さん等)のオーラが凄すぎたのかも知れません。

加えて言うと、私ごときが『演技論』で語っても、無意味なのですが
この日は怒ってる演技でしたから余計に『惹きつけるオーラ』を感じられなかったのかも知れませんね。

何故そう思ったかと言うと、撮影が終わって帰る時にスタッフの方たちと
談笑してたのですが(ケッコウ近くを通り過ぎて行きました)
その時の自然な笑顔は『驚くほど、チャーミング』でした。



私は笑顔の可愛い女性が好みなのでイッキに心を奪われましたね・・・。
(って、そんな情報なんか誰も興味ありませんね・・・(ゝω・) テヘペロ)

もう1つフォローって訳ではありませんが
役者さんってぇ人種は『オーラの出し入れが出来る』
のかも知れません。

そう思ったのは、一緒に出られていた“三浦 友和”さんが
そのタイプの役者さん・・・ってイメージを持ってるからです。


  


2006年05月15日

18

前回は、主演女優:“宮﨑 あおい”ちゃんについて書きましたが
今日は、もう1人の共演者“三浦 友和”さんについて語っちゃいます。



当時トップアイドルでありスターであった“山口 百恵”さんの共演者として
『シンデレラボーイ』的な扱いで全国区になった役者さんで
そのまま、“百恵”ちゃんと結婚してしまいましたから、今だに
「“百恵”ちゃんの旦那さん」といわれてしまう・・・
ある意味『男性にとって嬉しく無いセカンドネーム』を持つ役者さんです。

ご存知の通り『非常に端正な顔立ちで、正統派の二枚目』なのですが
“百恵”ちゃんの映画で全国区になってから10年くらいは
“百恵”ちゃんの陰に隠れちゃった感じで
まさに『オーラの無い俳優さん』というイメージを持っていました。

ところがこの10年くらいで私の評価は一変しました。
オーラの無いままで(失礼。m(_ _)m ヒラニーヒラニー)オリジナルの
“三浦 友和”ブランド を立ち上げてしまった感があります。

これはあくまでも私の個人的な見方・考え方ですが
一流どころの役者さんは主役であろうが脇役であろうが
優れた演技力と類い稀なる存在感(オーラ)を持っています。

モチロンその役者さんたちがお客(視聴者)を呼び
彼らに引けを取らない物語(台本)が揃って
過去の名作は、生れて来たのでしょうが
逆に、役者さんの存在感に喰われてしまい
本当に伝えたい内容や見せたい映像が、お客の記憶に残らなかった・・・
なんて事もあったのでは?と、邪推してしまいます。


いつも例え話が「とんちんかん」で申し訳ないのですが・・・

天才プロデューサー“小室 哲哉”氏が“中森 明菜”さんを手がけた時に
“明菜”さんはヤッパリ“明菜”さんで、小室作品にはなれなかった・・・。
って思った記憶があります。
“小室”氏が得意なのは
『売れるポテンシャルを持っているのに売れてない歌手』
『小室カラーという武器』を与えて戦わせる ことなのかも知れないなぁ・・・
逆に、“明菜”さんの
『小室カラーを喰ってしまう個性』が邪魔になったんじゃないかなぁ・・・。
と、偉そうに、勝手に感じました。(ゝω・) テヘペロ


そんな時に“友和”さんの存在を思い出しました。
正統派の二枚目で、年齢とともに演技力も品格も備わって来てる
だから絵にはなるのは当たり前なのです。でもオーラは感じ無い。

存在感がある、演技もしっかりしてる。でも主役を喰わないのはモチロン
作品の邪魔をしない・・・って言うか
本当の意味でそれらを引き立てるタイプの役者さん。
そんなふうに“三浦 友和”ブランド を感じていました。

これは『和のワビサビ』に通じるモノなのかな?と思いつつ
CMには打って付けのキャラかも知れない・・・と感じました
(とは言え、それほど数的には出ていませんが・・・???)

この『オーラが無い』のか『オーラを出さない』のかが微妙なのですが
役者さんって職業の人はその日の演技内容によって
『不要なオーラは出さない事が出来る』のかも知れません。

もしかしたら“あおい”ちゃんもそうだったのかも・・・?
そんな気がします。だって現場の「オーラの無さ」に比べ
帰って行く時の 『笑顔』 がメチャメチャ可愛かったもん・・・。


あとは勝手にイメージしてるんですが、“友和”さんって「イイ人そう」



失礼ながら“百恵”ちゃんと結婚した時は
「まぁ、長続きせんだろうなぁ・・・」
と思ってました。

何故なら芸能界には、この手の芸能人カップルにとって
あまりにも離婚の原因になる誘惑が多すぎるからです。

ところが、『純情きらり』に出演してた10年前に
「もうそろそろ『銀婚式』なんじゃ無いの?」
ってぇくらいの年月を夫婦として重ねています。

モチロン奥様がトットと芸能界を引退し全く復帰しないって姿勢が
大きな理由のひとつであると思いますが
“友和”さんの人柄の良さも、否定は出来ないと思います。
(いくらオーラが無いって言っても、あのルックスで浮いた噂が1つも無いってのも・・・ねぇ)

撮影の合間にスタッフの人たちと談笑する姿を拝見しましたが
品格はあるのですが威張ったそぶりは全く無く
言葉・笑顔・雰囲気どれをとっても「イメージ通り」
としか、言い様・感じ様がありませんでした。

私たちエキストラの目もあって・・・
今ほど酷く無い・・・とは言え、それこそこんな「訳の分からないブログ」で
好き勝手な事を書かれちゃう時代ですから
その場は“三浦 友和”さんを演じていただけ・・・かも知れませんよ。

ただ、私が参加した岡崎ロケの前日(11月15日・火曜日)の朝
撮影前に撮影場所の八丁味噌工場周辺の町内の人たちを集めて
「ご迷惑をおかけしますから・・・」
“三浦 友和”さんと写真撮影会を催したそうです。

そんな話は他で聞いた事ありませんが
“友和”さんだったらありそうな気がします。
また、岡崎泊まりの数日の内
地元の『知る人ぞ知る、居酒屋(なのかどうか?です)さん』で食事会&宴会?
があったらしいと噂を耳にしましたが
たぶんその場に居合わせても同じ感想を持ったと思いますよ・・・。


では、また。(^0^)/~~ バイバイ


  


2006年05月08日

19

さていよいよ撮影が始まります。
(前振りだけで半年を越すとは思いませんでした・・・とほほ)

撮影現場は、前にも書いた通り『竹千代橋』の東側(公園側)から
北(お城側)の堤防を下りた、『伊賀川』沿いの河川敷の小道”です。



写真で言うと、 地点あたりから 地点に向かって歩いていきます。
向って右側に川が流れてて、その向こうの『対岸の河川敷』に
撮影用のTVカメラがありました。

前にも書いた通り、私が「一応の立ち位置」で待ってる間
私から数mくらいの場所で、“友和”さん と “あおい”ちゃんが
絡みのシーンの打ち合わせで、セリフ合わせなどをしています。



上の写真で何となくお分かりになると思いますが
私はまず、“あおい”ちゃんとすれ違った直後、“友和”さんとすれ違います。
さらに、“友和”さんの後ろからこちらに向かって
自転車男』さんが走って来ます。(最初だけで、2回目からはいなくなりましたが・・・)


この時の私は「スタンバイ」ではなく
とりあえず「配置をしておいて、打ち合わせ」をしている段階なので
メガネもかけたままで、状況が見えていた・・・ってことだと思いますが

撮影に際して、自分の決め事を2つ作りました。

まず、道幅が「2mちょっと」しかありません。
見ると、私から見て右側に、“あおい”ちゃんと“友和”さんがいます。
当然です、主になるお2人が『対岸のカメラ』に近い方を歩きます。

逆に、我々『エキストラ』は、すれ違う時に
カメラと役者さんの間に入らないよう、左側を歩くのですが・・・
道幅を「半分こ・・・」な訳ありません。

加えて、『自転車男』さんとすれ違うタイミングが分かりません。

①・・・私は、道の左端を歩くことにしました。

出来れば、主になるお2人に、1.5mくらい使ってもらう感じです。
残りの1m弱のスペースを使って、私と『自転車男』さんがすれ違う・・・。

やはり、身体を横に向けないと、スムーズにすれ違えないのですが
その時、私は・・・

②・・・左側に身体を捻じる(カメラに背中を見せる)

たぶん、右側に捻って避けると、カメラを見てしまいます。
遠くからの撮影ですから、分からないと思いますが
【意味の無いカメラ目線】で、興醒めしちゃう事ってありますよね?
それだけは、避けたかったんで・・・

とりあえず、その2つの事を決めて、撮影に臨みました。


打ち合わせが終わったのか?その場の空気が
「いよいよ」って感じになって来たので、私は例の
“若きTV屋職人のスタッフ”さんを探しました。